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横浜地方裁判所 昭和48年(ワ)946号 判決

原告

河村隆二

右訴訟代理人

秋本英男

中川明

中島通子

福田拓

監谷邦雄

被告

学校法人

関東学院

右代表者

高野利治

被告

岡本正

右被告両名訴訟代理人

本多彰治郎

安江邦治

主文

一  被告学校法人関東学院は原告に対し金二一万六〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年一〇月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告学校法人関東学院に対するその余の請求並びに被告岡本正に対する請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求の原因1の事実〈編注・原告の地位〉は当事者間に争いがない。

二被告関東学院における学園紛争並びに要綱制定の経緯について

1  被告らの主張1の事実並びに昭和四三年五月二五日大学の学生寮たる青雲寮南、中二棟が火災により焼失したこと、昭和四四年三月の大学の入学試験が学外で行われたこと、大学が昭和四四年一〇月三日「非暴力宣言」を発表したこと、昭和四七年一月八日大学各教授会が連名で「声明」を公示したこと、大学が昭和四七年一月二二日要綱を制定したこと、三浦俊一外三名が昭和四七年一月二五日授業時間中に演説をしたこと及び大学は右三浦らの行為は要綱に定める禁止行為に該当するので要綱の定める手続を経て翌二六日付をもつて右三浦外三名を除籍処分としたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  大学の学生寮である青雲寮の南、中二棟が昭和四三年五月二五日火災により焼失したが、これを契機として大学において学園紛争が発生した。当時東京大学、日本大学等他大学において全共闘が結成されていたが、大学においても同年六月一三日学生自治会会長三浦俊一を議長として全共闘が結成された。そして全共闘系学生は暴力による大学解体を叫び大学側といわゆる大衆団交を重ねる中で、同月二九日に葉山学寮を占拠し、同年七月一日に零号館内総務課を、同年九月一四日に一号館をそれぞれ一時封鎖し、また、ヘルメットを着用して授業中の教室に立ち入り授業を討論集会に切り替えるよう要求する等した。

(二)  昭和四四年二月三日全共闘系学生は大学一号館の出入口、窓等を机、椅子でふさいでこれを封鎖したうえ館内に立てこもり、同月二六日には神学館を右同様封鎖した。このため大学では授業を行うことができないばかりか学年末試験を行うこともできずレポートの提出等によつて試験に代え、さらに同年三月の入学試験も学外で行わざるを得なくなつた。しかも山手英語学院で行われた入学試験の試験場に全共闘系学生が乱入し試験場入口を封鎖したため入学試験を続行することが不可能となつた。また卒業式も大学全体で行うことができず、学部、学科毎に分散して行われる状態であつた。

(三)  しかるうち同年四月一一日開かれた学生大会においては封鎖解除の決議がなされたが、全共闘系学生は少数理論の正当性なるものを主張して封鎖解除に応じず、同年五月二九日にはさらに工学館をも封鎖した。このように学園紛争が長期化し授業が行われない状態が続くにおよんで、大学は、このまま紛争が継続するときは、大学の運営に関する臨時措置法の適用により休校又は廃校の措置がとられる虞れがあるものと憂慮するようになつた。

(四)  大学の右のような事態を憂慮した体連系を中心とする一般学生約二三〇〇名は、同年九月二九日横浜市内の野島公園において学生大会を開催し三浦俊一会長はじめ自治会執行部全員を解任するとともに臨時学生大会議長団を選任し、全共闘によつてなされている大学の封鎖解除を決議した。そして直ちに大学に立ち戻り大学を占拠していた約一〇〇名の全共闘系学生を実力をもつて学外へ排除して大学の封鎖を解除した。その結果大学は同年一〇月七日よりようやく授業を再開することができた。

(五)  この間大学は同月三日、「大学は今後学内外を問わず、一切の暴力を行使しないことを宣言する。なお、これに反した者については教職員、学生を問わず相互の厳重な検証をへて対処する。」との「非暴力宣言」をなし、同月二〇日には臨時学生大会議長団との間において新しい学園秩序維持の規定が出来るまでの学園秩序維持に関する暫定的な申し合せとして、「1、非暴力宣言に抵触する一切の行為を行わぬ。2、正常な授業を妨害するような一切の行為はしない。すなわちイ、授業中、教室内でビラを配らない。ロ、授業中、明らかに騒音と認められるマイク放送等を行わない。ハ、授業中に多数の聴講生の意志を無視するような言動をとることは慎しむ。3、ビラ貼り、立看板等は所定の場所を守る。4、研究や課外活動のため学内において夜間の宿泊、徹夜等をする必要が生じた場合には、必ず学生係(課外活動係)に届出る。」との「学内秩序維持に関する申し合わせ」を行つた。

(六)  その後全共闘は大学内においてデモ、集会を行うなど不穏な状態が続いていたが、昭和四六年五月一八日学内において全共闘系学生約一五〇名と一般学生約八〇〇名との間で小競合いとなり、約九名の負傷者が出、翌一九日学内が警察官によつて捜索された。そこで当時の大道寺学長は同月二五日「全学教職員に訴える」との声明を出して再度暴力行為は厳に慎むよう強く訴えた。

(七)  然るに全共闘系学生はなおも学内集会、デモ、授業妨害等を繰り返していたが、同年一一月一七日自治会役員選挙を妨害するため投票所に乱入して投票箱を破壊し、翌一八日には学長室に乱入して山崎学長補佐を軟禁し、さらに同月一九日学外で待機していた機動隊員に対し鉄パイプを振りかざし火災ビンを投げつけて攻撃を仕かけ国道一六号線上に学内から持ち出した机、椅子等でバリケードを築いて約1時間に亘り交通を遮断した。このため大学ではやむなく同日以降休校の措置をとつた。

(八)  大学は同年一二月六日授業を再開したが、学内では全共闘系学生がヘルメットを着用しゲバ棒を所持して排徊していたため、学長、事務長、自治会役員等は学内に立ち入ることができない状態で、学部長会議、全学教授会等も学生の妨害をおそれて学外で開催される有様であつた。この間全共闘系学生と一般学生との間の対立が次第に厳化し両者による衝突の危険は増大していつた。

(九)  そのような情勢下にあつて大学各教授会は昭和四七年一月八日連名で、「われわれは学内における一切の暴力を許さない。いかなる理由によろうとも暴力を行使するものに対しては、全学的総意により断固たる処置をもつてのぞむことを声明する。ここにいう暴力とは、さしあたり物理的力あるいはそれを背景にした集団的行動によるものであつて、一、生命身体に危害の及ぶもの 二、他人の意志行動を強調して、大学の運営、事務の執行を妨げるもの を指す。」との「声明」を発表した。

(一〇)  体連系学生約三五〇名は同月一七日全共闘系学生を学外へ排除するとともに全共闘系学生約八〇名が立てこもつていた青雲寮を包囲し投石、放水等を行つたが、機動隊の出動により退散したところ、全共闘系学生は再び学内に入り正門、西門等にバリケードを築いた。そのため大学は翌一八日機動隊により全共闘系学生を学内から退去させ、学内立入禁止の措置をとり、その旨を掲示するとともに全共闘の築いたバリケードを取り除き大学の周囲に有刺鉄線を張りめぐらせたが、全共闘系学生は右の作業に従事していた大学施設課の職員及び被告岡本等に対し小突いたり蹴つたりする等の暴行を加えて右作業を妨害した。

(一一)  大学は学内から暴力をなくし学園を正常な状態に戻すべく同月二二日全学教授会を開催して原告らの反対にもかかわらず多数の賛成をえて要綱を制定した。要綱の内容は以下のとおり(ただし本件に関係する部分のみを掲記する。)である。「四十四年一月以来、四十七年一月十七日の事件に至る間、学内暴力に対する本学の深刻をきわめた苦悩に基づき、きわめて不本意ながら、われわれはここに重大な決意をもつて次のことを決議し、かつ、それをきびしく誠実に実施することを声明する。

第一 四十七年一月八日の声明を「再非暴力宣言」として確認する。

第二 ここに暴力とは次のものを指す。

1  学内暴力のことである。

2  物理的力あるいはそれを背景にした集団的または個人的行動によつて、他人の生命、身体に危害を及ばすもの

3  それによつて研究・授業および本学が学生・父兄・社会に重大な責任ある諸行事、大学の運営・事務の執行を妨げるもの

4  また、それによつて他人の自由な意志および行動を強調するもの

5  その暴力が他の暴力の誘発なしに処理しえない性質のもの

第三 また前記のような、われわれの深刻な苦悩と体験に基づき、とくに左記の行為を絶対に排除する。

1  学内において運動のためヘルメットをかぶること

2  学内において運動のためゲバ棒をもつこと

3  討論申し入れなどで、研究・授業・部活動などを妨害すること

4  とくに入試、その他各種試験を妨害すること

5  授業時間中、デモ、演説を行うこと

第四 以上に対する「断固たる処置」

以上は本学が本学の生命である研究・授業・部活動・重要行事・運営事務の正常を保ち、本学の存続と発展を保証する最低の条件をなす。ゆえに、これをいささかでも犯すものは一・八声明に基づき左記の如く「処置」される。

A  侵犯者の氏名が明らかな場合

本学の長期の深刻にして痛切な経験にかんがみ

1  前記の第二・第三にふれるものは、その具体的状況を精密な調査と情況酌量を前提として処置される

2  教員・学生の場合当該人物の所属学部、および、職員の場合当該課と事務長が先議する

3  前記の第二・第三に関する限り、学長代行が介入し、各機関と意見の一致をみないとき、学長代行の責任において決裁する

4  前記の第二・第三に関する限り、とくに免職・除籍を原則とする。ただし、一定期間後、本件に関する限り誓約書と実情調査に基づき、復職・復学が特別に考慮される。」

(中略)

第六 次の行為はとくに重視され、免職・除籍の対象となるのみならず、第四・A・4のただし書きは適用されない。

1 他の人命への危害 2 試験など重大行事の妨害

3 施設・設備の破壊 4 施設・設備の不法占拠

(後略)

(一二) 大学は昭和四七年一月二五日授業を再開したが、全共闘系学生である三浦俊一(経済学部)、森脇孝幸(工学部)、石島盛久(工学部)及び岩山春夫(経済学部)の四名は同日午前九時四〇分頃から午前一一時頃までの間大学七号館のロビーにおいて授業時間中であるのにかかわらず交互にハンドマイクを使用して音量をあげ「要綱白紙撤回」、「授業料値上げ反対」等のアジ演説を行つた。これを知つた大学学長代行被告岡本らが授業時間中であるから演説を中止するよう再三にわたつて注意したにもかかわらず、右三浦外三名はこれを無視して演説を続け、付近にいた全共闘系の学生が被告岡本を小突いたり「何を言つてやがんだ。とつとと失せろ。」等と暴言をあびせた。

(一三) 同日工学部教授会が開催され右森脇及び石島(工学部学生)の処分について検討したところ、右両名の行為は要綱に触れるが除籍を含まない処分をすることとし具体的な処分の内容は学部長、学長に一任するとの結論に達した。一方経済学部教授会においては、右三浦及び岩山(経済学部学生)の処分について検討したが結論を出すに至らなかつた。これを受けて同日学部長会議が招集されこの席上大学学長代行被告岡本から要綱に基づいて処分する場合処分としては除籍しかない旨説明がなされ、右三浦外三名の処分については工学部及び経済学部両教授会において再度検討することとなつた。

(一四) 工学部教授会は翌二六日、右森脇及び石島の処分につき再度検討した結果、原告らの反対があつたが多数の賛成により右両名を除籍処分にすることに決定した。一方経済学部教授会も同日右三浦及び岩山の処分について再検討したがまたも結論を出すことができなかつた。そのため被告岡本は右三浦及び岩山については要綱に定める学長の権限に基づいて除籍処分にすることとし、大学は同日付をもつて右三浦外三名の学生を除籍処分にした。

三本件解雇に至る経緯について

1  原告が学生は大学の管理運営権を有する旨主張していること、原告が要綱の制定及び三浦外三名の学生の処分に抗議して昭和四七年一月二九日から授業等のボイコットをしたこと、工学部教授会が同年二月九日付文書をもつて原告に対し速やかに授業ボイコットを取り止めるよう申し入れたが、原告は三浦らの除籍処分を撤回するまで授業等のボイコットに対する態度を留保する旨返答したこと、工学部教授会が被告らの主張4(四)記載のような決定をしその旨原告宛通知したこと、同年二月二一日原告が同年四月以降本件ボイコットを取り止める旨被告岡本及び工学部教授会へ通知したこと、被告岡本が原告に対し同年二月二二日付及び同年三月三日付文書を以つて同人の考えを質し、原告が同月二日付及び同月七日付文書でこれに回答したこと、原告が基礎科目教室主任の要請に対し資料を提出しなかつたこと、被告岡本が原告に対し同月二四日付文書をもつて同月二七日から同年九月三〇日までの間自宅研修をするよう命じ、同年八月初旬被告ら主張の三項目について回答するよう求めたこと、然し原告が自宅研修報告書を提出しなかつたこと、被告岡本が同年九月一八日付文書をもつて同年一〇月一日から翌四八年三月三一日までの間原告に対し更に自宅研修をするよう命じたこと、被告岡本が原告に対し同月一七日付文書をもつて被告ら主張の五項目の要求をなしたこと、被告岡本が同月二八日付文書をもつて同年四月一日から同年九月三〇日までの間原告に対し自宅研修を命じたこと、被告関東学院が同年一〇月一日付で原告を解雇し、給料一か月分を解雇予告手当として提供したこと、被告関東学院は以後原告の就労を拒否していることは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができ〈る。〉すなわち

(一)  原告は従前から学生は大学の管理運営権を有する旨主張して全共闘系学生の活動に共感を示し、自らも、被告関東学院の一部職員で組織するものとみられる「教職員反戦会議」の発行した全共闘とその主張内容を同じくするビラを配るなどし、大学における学園紛争に際しては全共闘系学生の行動を擁護する立場で行動してきた。

(二)  原告は、昭和四七年一月二九日要綱の制定と前記三浦外三名の学生に対する処分に抗議するとして、原告が担当していた大学工学部の授業、実習、研究の指導のうち、一部(昼間部)の物理実験及び二部(夜間部)の授業を除いた授業をボイコットする旨宣言してこれを大学学長代行、工学部長及び基礎科目教室主任に通知するとともに自らその旨を学内の教職員組合の掲示板に掲示したうえ、同年二月三日、四日の連続体力学、物理セミナー、量子物理の授業合計六時間をボイコットした。

(三)  そこで大学工学部教授会は同月九日原告に対し、「工学部教授会は今回あなたが学内に掲示し、また、学部長・基礎科目教室主任あて提出された文書にある“授業ボイコット”は本学のおかれている現況にかんがみ、教員として無責任な行為であると判断します。ただちにこの意志表示を撤回し、今後授業ボイコットを行なわないよう強く要請します。」との文書を交付した。これに対し原告は、同月一一日付文書をもつて、「二月九日付工学部教授会(私及び当日の欠席者を除く)の“強い要請”を私としては充分考えさせていただきました。この件に関しては、今回の学生四名の除籍処分が重要な関係をもつものであり、工学部教授会として学生除籍処分撤回を決議するまで、現況にかんがみ、私の授業ボイコットに対する態度を留保させていただきたくお願い申し上げます。」と回答した。

(四)  そのため工学部科長会議の代表並びに原告の同僚らが原告を説得したが同人の聞き入れるところとならなかつたので、工学部教授会は、同月一四日原告に対する処置を討議した。その結果原告に対する処置は学部長に一任する旨多数で可決されたので、学部長は同月一五日学長代行(被告岡本)と相談のうえ、原告に対しては①全学教授会、工学部教授会、教室会議その他の委員会への出席の禁止、②教授活動(担当授業科目((第一、第二部とも))の講議、単位認定権を含む。)の禁止の措置をとることを決め、工学部教授会に報告してその了承を得、同月一七日学長代行である被告岡本から右措置を承認する旨の決裁を得た(以下「二・一七措置」という。)。そこで工学部教授会はその頃原告に対し文書で「あなたが、工学部教授会に提出された昭和四七年二月一一日付文書は、先に(昭和四七年二月九日)教授会において決定し、あなたに伝達した要請文への回答とは認められません。従つて、我々はあなたが、「授業ボイコット」を撤回する意志がないものと判断せざるを得ません。よつて、あなたが「授業ボイコット」を続ける限り、「要綱」にもとづき、我々は下記のような措置をとることに決定しました。記1、全学教授会、工学部教授会、教室会議その他の委員会への出席の禁止。2、教授活動(担当授業科目((一、二部とも))の講義、単位認定権を含む)の禁止。」と通知した。

(五)  これに対し原告は、同月二一日大学学長(同月二〇日付で被告岡本が学長となつた。)、工学部長及び工学部教授会宛に「(前略)処分に至つた経過、処分対象の行為のささいさ故に今年度中に学生の処分撤回がなされるものと信じて来ましたし、今もそう思つています。従つて新年度まで問題が継続すると考えていませんでした。不幸にして処分が撤回されない事態が生ずるとするならば私の思つた状況の変化と云わざるを得ません。こうした状況では授業ボイコットにより他の人々に大きな影響が出る恐れもあり、私としては四月以降授業ボイコットを取りやめ授業カリキュラムが完遂されるよう責任をもつ所存であります。然しながら、学生に対する処分が不当であるとする私の信念は、いささかの変化もなく一日も早く処分撤回が教育的配慮でなされるよう切望しております。」との文書を送付した。

これを受けて工学部教授会は同月二三日原告に対する取り扱いを審議したが、結論が出ず継続審議となつた。この間同月二二日被告岡本は原告に対し、要網及び学生処分撤回の主張を維持するか、そのため授業ボイコットもしくはこれに類する実践活動を今後行う意思があるかについて質問状を発したところ、原告は同年三月二日付の書面で被告岡本に対し要網及び学生処分撤回の主張を維持する旨回答した。さらに被告岡本は同月三日原告に対し、前同様の質問状を発したところこれに対しても原告は同月七日従前の主張を維持する旨の回答を寄こした。

(六)  そして原告は、被告岡本、工学部長その他に対し工学部教授会及び基礎科目教室会誠への出席を強く要求し、また、昭和四六年度に担当した科目の単位認定に要する評価資料を提出することを拒否した。

(七)  そこで被告岡本は大学学長の資格において同月二四日原告に対し、「1、昭和四七年三月二七日から同年九月三〇日まで、自宅研修を命ずる。2、工学部教授会の二・一七措置を再確認する。3、自宅研修期間中給与は全額支給する。」との措置をとることを決定し(以下「三・二四措置」という。)、同日これを文書で原告に通知した。

(八)  被告岡本は同年八月八日原告に対し、「1、自宅研修についての報告をすること、2、要綱及びそれに基づいた学生の処分について、どう考えようと、貴殿の自由であるが、本年三月二十七日以前に貴殿がとられたような形をもつてする言動は一切慎しむ旨諒承し、且つ約束すること。3、2の項目に違反すると認められるときは、いかなる処分を受けてもやむを得ないものと承服すること。」の三項目について要求し回答を求めたが、原告は自宅研修についての報告をなさず且つ他の二項の要求にも応じなかつた。

(九)  そこで被告岡本は同年九月一八日、原告に対して、昭和四七年一〇月一日から昭和四八年三月三一日まで自宅研修を命ずる、工学部教授会の二・一七措置をあらためて確認する、自宅研修期間中、給与全額を支給する、原告があくまで業務命令に反抗し、学長の要請を無視することを繰返す場合は必要な処置をとることを決定し(以下「九・一八措置」という。)、同日これを文書で原告に通知した。

(一〇)  被告岡本は、昭和四八年三月一七日、原告に対し、「第一、貴殿は二・一七措置に対しその決定の原因をなした貴殿の行動を反省され、公式に遺憾の意を表明し、以後、工学部教授会の方針に忠実に従うことを公式文書によつて明確に表明されることを要請する。第二、それをふまえて、何よりもまず本学の管理運営の当面の根本方針である「要綱」を忠実に、完全に遵守することを文書によつて誓約されることを要請する。第三、小職は任にある限り、以上の「要綱」とその精神に基づき、学内暴力及びそれに関する宣伝煽動を、如何なる事情があつてもきびしく禁止し、規制することを不動の方針とするものであるが、これを誠実に遵守することを公式に文書によつて誓約することを要請する。第四、以上に違反した場合、本学の決定するいかなる処置にも服することを文書によつて、明確に表明されることを要請する。第五、自宅研修についての報告書を提出することを求める。」との五項について要求しこれに対する回答を求めたが、原告は右五項目の要求を拒否した。

(一一)  そこで被告岡本は同月二八日原告に対し改めて1、昭和四八年四月一日から同年九月三〇日まで、自宅研修を命ずる。2、前記五項目について昭和四八年八月三一日までに、諾否を文書で回答させる。3、自宅研修期間内の給与は、全額支給するとの措置をとることを決定し(以下「三・二八措置」という。)、同日この趣旨を文書で原告に通知した。

(一二)  これに対し原告は、同年四月二日付文書で被告らに対し二・一七措置、三・二四措置、九・一八措置、三・二八措置及び学生四名に対する除籍処分の撤回を主張し、その後も要網及び除籍処分並びに右各措置の撤回を求める旨を主張し続けた。

そこで被告関東学院は同年九月一四日、原告が要網の制定及びこれに基づく学生の除籍処分に反対してその撒回を求め、大学のこれらの措置に抗議する目的で昭和四七年一月二九日以降授業ボイコットをなし、その後も工学部教授会による授業ボイコット撤回の申し入れを無視し、被告岡本から三・二四措置、九・一八措置及び三・二八措置によつて自宅研修を命ぜられて反省の機会を与えられたにもかかわらずその態度を変えていないとの理由で原告を昭和四八年一〇月一日付で解雇することに決定し、同年九月一八日付文書によつてその旨を原告に通知した。

四原告に対する解雇の効力について

1  解雇事由の存否

(一)  二・一七措置等の効力

(1) 要綱は、前記認定の事実に徴すると、被告関東学院における昭和四四年以降の学園紛争の中で、大学が全共闘系学生らの暴力によつて妨害され事実上不能となつた大学の管理、運営を正常な状態に取り戻し大学本来の使命である学究の場を確保するために設けられた大学の学則であり、大学自治の原則に基づき学校教育法等によつて与えられた権限内のものというべきである。確かに要綱の禁止条項には学生の授業時間中における演説が含まれている(学生の発言を一切認めない趣旨の規定はなくこの点に関する原告の主張は失当である。)が、これは前記認定の紛争の経緯に照らし、大学における正常な授業の遂行のため必要な合理的処置と認めることができる。授業時間中に授業を妨げる行為をすることを禁止することは憲法の言論その他表現の自由の保障規定に違反するものではなく、ましてや学問の自由を侵すものでないことは多言を要しないところである。

また要綱は、全学教授会の決議に基づき定められたものであつて、大学の学生がこれに関与していないことは前記認定事実によつて明らかである。しかし大学に認められた自治は教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由を保障するためのものであり学生は、右のような自治の効果を反射的に享受するにすぎず、大学の運営、管理に積極的に関与することまで許容されたものでないことは極めて明白であつて、学則たる本件要網の制定に学生を参加させなかつたことはけだし当然のことであつて、何ら違法の点はない。

さらに要綱は、除籍処分をなすに際し要綱違反者に対し告知、弁解、防禦の機会を与える旨を定めていないことは〈証拠〉によつて認められるけれども、私立学校においては学生は、学校の提供する物的、人的設備を利用して教育を受けることができる地位にあるにすぎないから、学校が学生に対し施設を利用させるについては一方的に学則を制定することができ、従つて学校が学則に違反する行為をした学生に対しこれを施設の利用関係から排除するのにどのような手続をとるべきかは学校の裁量に委ねられているものといわなければならない。

よつて大学が学則たる「要綱」に、違反学生を除籍するにあたりこれに弁解、妨禦の機会を与える旨の規定をおかなかつたからといつて、右「要綱」が直ちに憲法三一条もしくはその精神に違反し無効であるとするということはできない。

(2) 要綱が右のように有効に定められ、授業時間中における演説等が禁止されているにもかかわらず三浦ら四名の学生がハンドマイクを以つて授業時間中に演説したことは同要綱に定める除籍事由に該当するから、被告岡本が、三浦ら四学生を右要綱に則り除籍処分としたことには違法はない。そして前記認定事実に徴すると、当時の大学としては全共闘系学生の暴力によつて荒廃した学園を正常に戻すべくその規範として制定した要綱に支えられてやつと授業を再開したその第一日目に、拡声器で要綱の撤廃を叫び授業を妨害するに及んでは、行為者である三浦らに対し強い処分を以つて臨まなければ企図した学園再建はその第一歩において挫折することは明らかであつて、かかる事情の下では、大学が三浦らを除籍処分にしたことは誠にやむを得ないものであつて、決して裁量の範囲を逸脱した不当のものであるとすることはできない。

(3) そうであれば、原告が要請及び学生の処分を違法無効であるとしてこれが撤回を求めてなした授業等のボイコットは正当行為ということができないばかりか、かえつて原告は大学の工学部助教授でありながら大学の危機に際し学長である被告岡本をはじめ職員らが学園の秩序回復のため最大限の努力を払つているときに敢えてこれに反対しあまつさえ全共闘系学生を力づける結果となる授業等のボイコットをしたことはその職質にもとるものというべきである。したがつて、原告の所属する工学部教授会が原告に対する教授活動等の禁止を決議し被告岡本においてこれを承認したことは正当な措置ということができる。

(4) 原告は、二・一七措置が有効であるとしても、原告が昭和四七年二月二一日、同年四月以降の授業ボイコットを取りやめる旨通告しているから、本件ボイコットの中止を解除条件とする二・一七措置は同月以降その効力を失つた旨主張する。

原告が昭和四七年二月二一日、被告岡本及び工学部教授会等に対し同年四月以降の授業ボイコットを取りやめる旨通告したことは当事者間に争いのないところである。しかし工学部教授会の二・一七措置は、工学部教授会が原告に対し当時の学内の状況に照らし直ちに本件ボイコットを中止するよう要請したにもかかわらず原告がこれに応じなかつたことに対応してとられた措置であつて、原告がボイコットを中止することを解除条件としているものでないことは〈証拠〉に照らし明らかであるから、原告が同年二月二一日に至つて同年四月以降の授業ボイコットを取りやめることを通告したからといつて二・一七措置が効力を失うことにはならない。

(5) 三・二四措置は工学部教授会の二・一七措置を前提に、原告がなお反省せず要網及び学生処分の撤回を求めている(原告は授業ボイコットの中止を申し入れていたが上記の主張は変えていなかつた。)ことを理由として被告岡本によりとられた措置(自宅研修を命じた)であり、九・一八措置は右三・二四措置を、三・二八措置は右九・一八措置をいずれも順次前提としてその間の原告の非協力態度の不変を理由としてとられたものであるところ、工学部教授会の二・一七措置が正当なものであることは前述のとおりであるから、被告岡本の右各措置は少なくとも右前提措置において適法性、不当性はなく、しかも前記認定のように原告は右各措置に対しても反抗的で反省の態度がみられなかつたのであるから、右各措置はいずれも相当として是認することができる。

(二)  右各措置に関する被告岡本の権限

原告は、右各措置が被告岡本においてその権限なくなした懲戒処分である旨主張する。

しかし〈証拠〉を綜合すると、右各措置は、被告岡本が大学学長としてした業務命令であつて、ただ内容的には自宅研修という処遇が幾分制裁的な感じもしないではないが、未だ懲戒処分であるとまでは断ずることができない。

而して〈証拠〉によると、被告関東学院の職制に関する規定において「大学学長はその大学を統理する」と定められているから、学長はその大学の業務全般を統括し業務に関し必要な指揮命令を発する権限を委ねられているものと認めることができる。

したがつて、本件各措置は被告岡本が大学学長としての権限に基づき発した適法な業務命令というべきである。

(三)  以上のとおり、工学部教授会の二・一七措置、被告岡本による三・二四措置等の本件各措置はすべて正当として是認できるから、原告が右各措置によつて命ぜられたところの、言動を慎むこと、要網遵守を誓約すること、自宅研修の報告書を提出することをいずれも拒否したことは、被告関東学院の当時の状況に鑑み原告に対する解雇事由となるものということができる。

よつて本件解雇には解雇事由がないとする原告の主張は失当として排斥を免れない。

2  解雇権の濫用の成否

(一)  被告関東学院が昭和四八年九月一四日原告を同年一〇月一日付で解雇することに決定し、同年九月一八日付文書によつてその旨を原告に通知するとともに、原告に解雇予告手当として給料一か月分を提供したことは前示のとおりである。

(二)  そこで、本件解雇が解雇権の濫用に該当するか否かについて判断する。

(1) 請求の原因5の(一)について

原告のなした本件ボイコットの目的もしくは動機が要網の制定及び前記三浦ら四名の学生に対する除籍処分に反対、抗議することにあつたことは前記認定のとおりである。然しながら

(イ) 要網には何らの違法はなく、三浦ら四名の学生に対する除籍処分が相当であることは前記説示のとおりである。

また、三浦らに対する処分については、工学部教授会が、昭和四七年一月二五日の会議においては一旦除籍を除いた処分をすることに決定しながら、その後大学学長代行被告岡本から要網に基づいて処分する場合は除籍処分しかない旨の説明を受けるにおよび翌二六日の会議において改めて除籍処分とすることに決定したという経緯のあることは前認定のとおりであるけれども、前記二(一一)で認定したとおり要網に従えば違反学生に対しては除籍が原則であるのみならず、処分をする場合には大学学長の介入権が認められているのであるから、右学長の助言をもつて工学部教授会に対する不当な干渉ということはできないし、前記のような工学部教授会の態度をもつて自主性を失い自治が形骸化したとの批難は当らないものというべきである。

したがつて、原告が如何に主観的に要網並びに学生処分が不法、不当であると考え、これに対する抗議のために本件ボイコットをしたとしても、原告の右行為は客観的には不法、不当な抗争であつて、良心に基づく行為として許容さるべきものとは到底認め難いところである。

(ロ) 次に、原告が実際に授業ボイコットを行つたのは昭和四七年二月三日、四日における連続体力学、物理セミナー及び量子物理の授業合計六時間であり、この間一部の物理実験及び二部の授業についてはボイコットの対象から除外していることは前記三2(二)において認定したとおりである。しかし、大学において教授もしくは助教授が、大学が正当な手続を踏んでとつた措置を不満としてこれに抗議するため自らの授業をボイコットすることは許さるべきものでないばかりでなく、学内暴力を排除して大学の正常な管理運営を維持するために要網を制定しこれに支えられて授業を再開した第一日目に違反した学生に対し除籍処分をなした段階において本件ボイコットがなされたことを考慮すると、本件ボイコットによつて大学並びに学生らに対し与えた影響は決して軽微であるとはいえず、また大学の業務を阻害しないものとは到底いい得ないものである。

また、原告が同月二一日付で大学学長、工学部長及び工学部教授会宛に文書をもつて同年四月以降本件ボイコットを取りやめる旨通告したことは当事者間に争いがないが、右原告の通告は、工学部教授会の要請どおりボイコットを即時中止するというのではないうえ、その後の大学学長被告岡本の質問に対してはボイコットを今後も続けるか否かについて明確な回答をなさずあくまでも要網及び学生の処分の撤回を求める旨述べて従前よりの態度を変更するような兆候をみせなかつたのであるから、原告の右ボイコット中止の回答は原告に対する解雇の当否を検討する上で斟酌するに値しないものといわなければならない。

よつて、原告のボイコットを処分理由とする本件解雇が権利濫用にあたるとの原告の主張は理由がない。

(2) 請求の原因5の(二)について

被告岡本が九・一八措置及び三・二八措置に際し、大学学長としての権限に基づき原告に対し報告書、その他反省に類する文書の提出を要求したことは前記のとおりである。しかし

(イ) 自宅研修期間を終了して原告を職場に復帰させる場合に従前の非違行為を反省して将来再び同様の非違行為を繰り返さないという趣旨の反省文書ないしは誓約書を提出させることは、原告の自宅研修の成果を一層実効あらしめるに役立つものとして当然許されて然るべき合理的な措置であり、学長の有する業務命令権の範囲内に属するものというべきである。

(ロ) また、右のように提出を求める文書の趣旨は、従前の非違行為を反省して将来再び同様の非違行為を繰り返さないということであるから、何ら原告の尊厳を傷つけ、思想及び良心の自由を奪うものではない。

(ハ) さらに原告は、原告が被告岡本の要求に応じて文書の提出をしないことを解雇の理由とするためには、文書不提出が本件ボイコットと同一程度に批難できるものでなくてはならないと主張する。

然し原告の右主張は独自の見解であつて採用することはできない。

よつて、原告の文書提出の命令に対する不服従を解雇事由とする本件解雇は権利濫用であるとの主張は理由がない。

(3) 請求の原因5の(三)について

本件各措置は、原告の授業ボイコットに対する懲戒処分ではなく工学部教授会の措置は同学部の自律権に基づく業務上の措置であり、その余の措置は被告岡本が大学学長としての権限に基づき原告に対し大学の方針に反する行動を慎しむよう反省を求めるために自宅研修を命じた業務命令であるから、原告が右各措置に対して十分その責を果たしたというためには、被告岡本の命に従い自宅研修の結果を報告するとともに自己の従前の行動に反省を加え、態度を改め、少なくとも大学の方針に反する行動はとらないことを被告岡本らをして確信せしめるのでなければならないのであつて、単に自宅研修をしたというだけではその責を果したということはできない。

しかるに原告は、前述のように自宅研修の成果についての報告を拒否し、依然として要網及び学生の処分の撤回を説え、授業ボイコットに対する態度を保留しているのであるから、原告は右各措置によつて責任を果たし償をしたということはできない。

確かに、原告を解雇することは原告を大学から放逐し研究、教授の場を失わしめることになり、場合によつては原告の研究者、教育者としての生命を断つ結果にもなりかねない虞れはあるけれども、以上述べてきた被告関東学院における学園紛争の実情、紛争を終らせ学園の正常化を計つた大学の努力、これに対する原告の行動、被告岡本らによる原告に対する反省を求める措置、これに対する原告の態度等諸般の事情を勘案すると、被告関東学院による原告の解雇は誠にやむを得ないものであつて、社会通念上著しく妥当性を欠くものということはできない。

原告の解雇が妥当性を欠くことを理由とする解雇権濫用の主張も、失当として排斥を免れない。

3  以上の次第で、本件解雇には正当な事由があり権利濫用と目すべき事情は何ら存しないから、被告関東学院が昭和四八年九月二〇日原告に対しなした同年一〇月一日をもつて解雇する旨の意思表示はその効力を生じたものというべきである。

よつて原告の被告関東学院大学工学部助教授たる地位の確認を求める請求並びに右地位を有することを前提に昭和四八年一〇月以降毎月金一三万九六〇〇円の割合による給料の支払を求める請求はいずれも理由なきに帰する。

五原告の被告両名に対する金一〇万円の慰藉料請求については、被告岡本によつてなされた三・二四措置、九・一八措置及び三・二八措置がいずれも違法、無効であることを前提とするものであるところ、前記説示によつて明らかなとおり右措置はすべて正当であつて何らの違法もないから、原告の右慰藉料請求はその余の点について判断するまでもなく失当たるを免れない。

六次いで原告の未払賃金二一万六〇〇〇円の請求について判断する。

原告が昭和四七年三月二七日(三・二四措置によつて自宅研修の開始された日)当時大学工学部二部において物理学及び連続体力学の二講座を担当し右時点まで一か月金一万二〇〇〇円の夜間手当の支給を受けていたことは当事者間に争いがないところ、被告関東学院が同年四月以降同四八年九月までの間原告に対し右金員を支払つた旨の主張立証はない。

被告関東学院は、右手当は現実に夜間講義をした場合にのみ支給される性質の金員であると主張するが、そのように解すべき証拠資料は何ら存しない。かえつて前記認定事実によれば、原告は昭和四七年三月二七日より同四八年九月三〇日まで業務命令に従い自宅において研修に従事していたが、右業務命令では「自宅研修期間中給与は全額支給する」とされていることが明らかである(なお、原告は同四七年二月より授業等のボイコットに入つたが、同年四月以降は中止する旨意思表示をなし、しかも同月以降は業務命令により自宅研修に従事するようになつたから、同月以降はボイコット中であると認めることができない。)。

然らば原告は被告関東学院に対し同四七年四月以降同四八年九月までの一か月金一万二〇〇〇円による夜間手当合計二一万六〇〇〇円及びこれに対する各支給日(毎月二四日)以後の遅延損害金の支払請求権を有するものというべきであるから、金二一万六〇〇〇円及びこれに対する期限後である同四八年一〇月二一日以降完済に至るまでの民法所定年五分による遅延損害金の支払を求める原告の請求は正当として認容さるべきである。

七よつて原告の本訴請求は、被告関東学院に対し金二一万六〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年一〇月二一日以降完済に至るまで年五分による遅延損害金の支払を求める限度において認容すべく、その余の請求はすべて失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(安國種彦 山野井勇作 佐賀義史)

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